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福岡地方裁判所 昭和44年(行ウ)6号 判決 1981年2月26日

原告 竹下進

<ほか八七名>

右訴訟代理人弁護士 谷川宮太郎

同 吉田雄策

同 千場茂勝

同 荒木哲也

同 鎌形寛之

同 古川太三郎

同 田中巖

同 鈴木紀男

同 武子暠文

同 藤原修身

同 生井重男

同 福井泰郎

右谷川及び吉田訴訟復代理人弁護士 石井将

被告 北九州市長 谷伍平

右訴訟代理人弁護士 苑田美穀

同 山口定男

同 立川康彦

右指定代理人 坂野博

<ほか三名>

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告村下福松に対し昭和四三年一一月九日付で、原告池本為義、同下原鉄夫、同池本健治、同下原安楽、同今浪安夫、同川崎清、同中筋三佐夫、同池本幸義、同中筋重俊、同松田金治、同森谷ヨシ子、同吉川ジナ及び同田中光子に対し同月一六日付で、その余の原告らに対し同月二日付でなした各懲戒処分(原告竹下進に対し給料日額二分の一の減給、その余の原告らに対し各戒告)をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  昭和四三年一〇月当時(以下昭和四三年中については月又は月日のみで示す。)、原告竹下進は、清掃事業局八幡清掃工場に清掃作業員として、原告島内一雄は、門司区役所会計課に自動車運転手として、その余の原告らは、清掃事業局小倉西清掃事務所に清掃作業員としてそれぞれ勤務していた北九州市職員であり、いずれも北九州市役所労働組合(以下「市労」という。)に加入していた。

被告は、北九州市長であって原告らの任命権者である。

2  被告は、原告村下福松に対し一一月九日付で、原告池本為義、同下原鉄夫、同池本健治、同下原安楽、同今浪安夫、同川崎清、同中筋三佐夫、同池本幸義、同中筋重俊、同松田金治、同森谷ヨシ子、同吉川ジナ及び同田中光子に対し同月一六日付で、その余の原告らに対し同月二日付で各懲戒処分(原告竹下進に対し給料日額二分の一の減給、その余の原告らに対しいずれも戒告の各処分。以下「本件処分」という。)をなした。

3  しかし、本件処分は何ら正当な処分事由がないにもかかわらずなされた違法なものであるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3は争う。

三  抗弁

1  一〇月八日の争議

(一) 全日本自治団体労働組合連合会(以下「自治労」という。)は、八月二四日から同月二六日までの間熊本市で開催された第一七回定期大会において、公務員賃金の引上げ、人事院勧告の完全実施等を要求して一〇月八日に始業時から一時間の全面ストライキを行うことを決定した。

原告ら所属の市労は、各区に支部を設置し、その傘下の組合員約七〇〇名を擁し、上部団体である自治労に加盟しているところ、九月二九日右自治労の方針に従い、一〇月八日始業時から一時間のストライキを行うことを決定し、以後その準備をしてきた。

そこで、被告は、このストライキを未然に防止し、市の業務運営に支障なからしめるため、一〇月四日市労に対し、市職員がストライキを行うことは違法行為であるので中止するよう警告書を交付し、更に同月七日各職員に対しても警告書及び職務命令書を交付し、職務に従事するよう命じた。

(二) 小倉西清掃事務所関係

(1) 原告ら(原告竹下進及び原告島内一雄を除く。以下本項において同じ。)の所属する小倉西清掃事務所においても、一〇月四日事務所及び作業員詰所に市長名による警告文を掲示するとともに、同月七日各職員に対し、前記警告書及び職務命令書を交付し職務に従事するよう命じた。

(2) しかし、右警告及び職務命令にもかかわらず、一〇月八日同清掃事務所の作業員らのほぼ全員(原告らを含めて約一〇〇名)は、詰所二階において、組合役員指導のもとに始業時の午前八時から同八時五七分まで勤務時間内の無許可の職場集会に参加し、管理職らによる再三の集会中止命令及び就労命令を無視してこれを続行した。

(3) その間、前記作業員らのほとんど全員というべき原告らを含めた約一〇〇名の者が職務を放棄したため、同日の同清掃事務所の業務が著るしく阻害され、ごみ二五トン(収集予定量の約二五パーセント)、し尿一九キロリットル(収集予定量の約二二パーセント)の滞貨を生じるに至った。

ちなみにその滞貨の状況を述べれば、平常勤務の場合であればごみについては、延稼働台数六五台分を搬送すればほぼ計画収集に見合うところ、同日は右職場集会のため、延稼働台数四四台分しか処理できず延稼働台数二一台分の滞貨を生じた。当時、北九州市では、原則として容器収集方式で週二回の収集を行っていて、住民がごみ回収日にごみを回収場所に出すことになっていたので、滞貨を放置することができず、同事務所は、民間業者から小型機械車一台、小型ダンプ車三台を借上げ延一三台を投入し、かつ、同事務所の所長以下の管理職が勤務時間外に直営車四台(延八台)を稼働してごみ滞貨の収集作業に従事したことにより、同日中に滞貨処理を完了した。しかし、し尿については平常勤務の場合、一日一〇台の車が延三五台分の搬送をすることによって一区域につき二〇日周期の収集を行う体制であったところ、当日は前記集会のため延二七台分の搬送にとどまったため、稼働台数延八台分の未処理滞貨を生じたまま後日の収集に持ち越さざるを得ず、市民から苦情が続出した。その後、民間車借上げ等の処置を講ずるなどして、同年一一月ころにようやく右二〇日周期の計画収集ができる状態に戻った。

(4) また、同日、同事務所では、し尿車が車検、故障修理により一台不足していたため、同一敷地内に隣接の小倉東清掃事務所から予備車を一台借りて作業をしようとしたことについて、集会終了後の午前九時ころ、原告今浪新太郎及び同宮崎義夫らは、他の組合役員らとともに事務所に来て、同所長大津正及び副所長中畑敬雄に対し「何で東清掃事務所の車を借りて作業をさせるか。人が余っておれば他の車につければええじゃないか。」等と激しく非難、抗議した。

(三) 門司清掃事務所関係

清掃事業局門司清掃事務所大里作業所においては、一〇月八日、同作業所の作業員控室において、市労本部副委員長の原告島内一雄が、同作業所の清掃作業員ら約五〇人を集め、勤務時間内である午前八時五分ころから同八時三〇分まで職場オルグを行い、管理職による再三の集会中止命令を及び就労命令を無視して職場集会を行い、その職務を放棄させた。

(四) 八幡西清掃事務所関係

清掃事業局八幡西清掃事務所においては、一〇月八日、同事務所宿直室において、市労八幡支部副支部長の原告竹下進が、同所清掃作業員又は自動車運転手である約一〇人の市労の組合員を集めて午前八時五分ころから同八時二五分まで、管理職らによる再三の集会中止命令及び就労命令を無視して勤務時間内の職場集会を行い、その職務を放棄させた。

2  一〇月二六日の争議

(一) 北九州市は、昭和三八年二月一〇日旧五市が合併して誕生したが、新市発足当初から職員の服務規律の弛緩が常に問題とされ、市民、マスコミからも、市の職員は勤務時間がルーズである、勤務時間中の無断離席者が多い、或いは執務態度が悪いなどの批判が多く寄せられていた。事実、組合活動においていわゆるヤミ専従者がかなりの数を占め、また、勤務時間中に職場集会を行ったり、職場交渉と称して所属長を長時間吊るし上げるなどの行為が日常茶飯事のように行われるなど市民から働かざる公務員として指弾されてもやむを得ない実情にあった。

職員の服務規律の厳正化及び労使関係の正常化については常に市議会から指摘を受け、また、昭和四〇年七月に行われた自治省の行財政調査の報告でも人事管理体制の確立や服務規律の維持などが指摘された。

そこで、被告は、昭和四二年二月、市民の信任を得て市長に就任するや直ちに、選挙公約どおり従来の悪弊を一掃し、職場秩序を正し、綱紀を粛正し、公務能率を増進して、市民のサービスの向上をはかるため、人事労務管理の適正化のための諸施策を次々に実施した。

(二) 昭和四二年六月一五日、それまで小倉清掃事務所の清掃作業地域として一つであったものを、作業能率を増強する目的で再編成して清掃作業地域を東西に分割し、それぞれ小倉東清掃事務所、小倉西清掃事務所を設置した。

しかし、小倉西清掃事務所は、設置当初から同清掃作業員の服務規律が弛緩しており、特に出退勤の時間が守られず、始業時の午前八時までに出勤しない者、作業に出たまま作業員詰所に帰って来ない者或いは同詰所に帰って来ても退庁時の午後三時五〇分前に退庁する者などがあり、労務管理上大きな問題であった。

そこで、所長及び副所長らは服務規律を適正化するため、随時全員を集めて注意警告したり、遵守事項を掲示文にして掲示するとともに、職員について出退勤不遵守の事実があったときは、直ちに本人を事務所に呼びつけて厳重に注意するようにしていたが、出退勤不遵守は一向に改まらなかった。このため、所側は、昭和四二年中から組合に対し再三出退勤の確認を名札の点検によって行う旨を通告したが、組合はその都度出退勤の時間は今後必ず守ると約束しながら数日も経たぬうちいつも元の状態となっていた。

このような状態の是正は、もはや職員の自覚に待ち得ないと判断し、所側は、清掃事業局と協議のうえ、一〇月一八日に名札の点検の実施を組合に通告した。

清掃事業局もこの際、服務規律を全市的に適正化する必要から同月二四日局長名による「勤務時間の厳守について」と題する職員宛の通達を発するとともに、これを各清掃事務所に掲示させ、同月二五日清掃事務所副所長会議を開いて、翌二六日から出退勤の確認を名札の点検によって行うことを決定した。

(三) 小倉西清掃事務所では、名札点検実施日である同月二六日始業時直後の午前八時五分ころ、同清掃事務所中畑副所長は、清掃作業員全員に対し名札の点検に関する説明を行うため、係長らを伴って詰所に赴いたところ、勤務時間内にもかかわらず同清掃事務所作業員のほぼ全員の者(原告ら((原告竹下進、同島内一雄を除く。以下本項及び次項において同じ。))を含めて約一〇〇名)が参加して職場集会が開催されており、市労書記長下原広志が長椅子の上に立って一〇月八日ストの成功と谷市政打倒などについて演説していた。

そこで、同副所長が下原書記長に対し勤務時間中であるので集会を中止するよう再三命じたが、これを無視されて集会が続行された。

その後、午前八時二〇分ころ、同集会を中止させ、副所長が原告らに対し出退勤の確認のため名札の点検を実施する旨及びその方法、時間等について説明していたところ、同八時三〇分ころから訴外三村清正、同牧野茂夫らが同所長に「勝手なことをぬかすな。」などといって激しく抗議し、これに同調する原告らで室内が騒然となった。同副所長は、怒号の中で説明を終え、作業車が到着しているので原告らに作業につくよう指示したが、原告らは、作業に就こうとしなかった。その後、詰所内で再び職場集会が開かれ、副所長の指示により松井係長及び下原係長が直ちに集会をやめて作業につくよう繰返し命令したが、原告らはこれに応じようとしなかった。訴外早川進は、集会の中で「点検問題粉砕のために今から事務所に抗議に行くので、みんな参加せよ。」と指示した。

その後、午前九時一〇分ころ原告らは組合役員らとともに事務所に押しかけ、所長及び副所長に対し、ばり雑言を浴びせて激しく抗議した。所長は、この事態を収拾するためやむなく下原書記長に対し代表者と話し合うことを提案し、結局、組合側の代表者と引き続き話し合うこととし、午前九時四〇分ころ、ようやく原告らを就労させることができた。

(四) 右一〇月二六日争議の結果、同日は同清掃事務所に所属する清掃作業員らのうちほとんど全員というべき原告らを含む約一〇〇名の者が勤務時間内職場集会に参加し、その後の抗議行動等を含め約一時間三〇分にわたってその職務を放棄したため、同日の同事務所の業務が著しく阻害され、同日の未処理滞貨量は、ごみでは約一六・五トン(収集予定量の約一九パーセント)、し尿では約二七・七キロリットル(収集予定量の約三二・四パーセント)にも達した。すなわち、平常勤務の場合であれば、ごみについては延稼働台数六二台分を搬送すればほぼ計画収集に見合うところ、同日は右職場集会等のため延稼働台数四八台分しか処理できず、延一四台分の滞貨を生じた。そこで、同事務所は、民間借上車三台を投入し、また、勤務時間外の管理職による直営車の稼働により、右滞貨を処理した。し尿については、延稼働台数一二台分の滞貨を生じたまま後日の収集に持ち越さざるを得ず、二〇日周期の計画収集が延長されて市民からの苦情が出たので、同年一一月になって、民間業者に請負わせて苦情の多い地区から未処理滞貨を処理した。

3  原告らの違法行為及び処分の根拠法条

(一) 原告竹下進について

原告竹下は、一〇月当時市労八幡支部副支部長で、同支部における本件一〇月八日のストの指導的立場にあったが、同日午前八時ころ、八幡西清掃事務所の清掃作業員、自動車運転手に対し集会参加を呼びかけ、作業配置の指示をうけていた同事務所の清掃作業員、自動車運転手ら約一〇人を同宿直室に集め、勤務時間に二五分くいこむ職場集会を開き、一〇月八日ストの意義を演説するなどして集会を主宰した。

なお、同日午前七時五〇分ころ、諸永八幡西清掃事務所長と中野同事務所庶務係長は、同事務所において勤務時間内にくいこむ職場集会が予想されたので、同事務所宿直室で原告竹下に対し勤務時間内の集会は止めるよう警告し、また、右諸永所長は、始業時刻の午前八時になって全職員に対し直ちに作業に就くよう放送マイクを使って繰返し就労を命令するとともに、更に、八時二〇分ころ同所長及び中野係長は、職場集会の行われていた宿直室に赴き、集会を主宰していた原告竹下に対し集会を止めるよう命じたにもかかわらず、原告竹下は、これを無視して集会を続行した。

(二) 原告島内一雄について

原告島内は、一〇月当時、市労門司支部長、市労本部副委員長で、本件一〇月八日ストの指導的立場にあったが、同日午前八時ころから同八時二五分ころまで門司清掃事務所大里作業所二階控室において、職場集会を開き、同事務所副所長の岩佐常雄が勤務時間中であるので集会を止めるよう制止したにもかかわらず、これを無視し、作業配置の指示をうけていた同事務所の清掃作業員ら約五〇人に対し、一〇月八日ストの趣旨、行動の必要性などについて演説するなどして職場オルグをし、集会を主宰した。

(三) 原告今浪新太郎

(1) 一〇月八日、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、自らの職務を放棄して、午前八時ころから約一時間にわたり小倉西清掃事務所詰所において開かれた職場集会に参加した。

その後、右集会終了後の午前九時ころ同事務所で同日し尿車が車検、故障修理により不足していたため、同一敷地内に隣接の小倉東清掃事務所から予備軍を借りて作業をしようとしたことについて、原告宮崎義夫、訴外早川進、同三村清正、同牧野茂雄らとともに小倉西清掃事務所長大津正及び副所長中畑敬雄に対し「どうして東から車を借りて作業させるか、人間が余れば他の車につければええじゃないか。」「作業が遅れたのは所長の責任じゃないか。」など口々に激しく抗議した。

(2) 同月二六日始業時刻の午前八時ころから午前八時二〇分ころまでの間、勤務時間中であるにもかかわらず、自己の職務を放棄し、小倉西清掃事務所詰所において開催された勤務時間内職場集会に参加し、更に、中畑副所長が同詰所において説明した服務規律の厳守及びこれに関連して実施する名札の点検について激しく反対する市労役員の職務放棄の呼びかけに応じ、午前八時三〇分ころから午前九時四〇分ころまでの間自己の職務を放棄し就労しなかった。

(四) 原告松本重瑠について

(1) 一〇月八日、職務に従事するよう命ぜられていたにもかかわらず、自己の職務を放棄し、始業時刻の午前八時ころから約一時間にわたり、小倉西清掃事務所詰所において開催された職場集会に参加した。

(2) 前記原告今浪新太郎の(2)に同じ。

(五) 原告三村義治について

(1) 前記松本重瑠の(1)に同じ。

(2) 一〇月二六日午前八時ころから同八時二〇分ころまでの間、勤務時間中であるにもかかわらず、就労命令に従わず自己の職務を放棄し、小倉西清掃事務所詰所において開催された勤務時間内集会に参加し、更に、中畑副所長が同詰所において説明した服務規律の厳守及びこれに関連して実施する名札の点検について激しく反対する市労役員の職務放棄の呼びかけに応じ、午前八時三〇分ころから再び自己の職務を放棄して就労せず、午前九時一〇分ころからは他の原告や組合役員らとともに同事務所に押しかけ、大津所長及び中畑副所長に対し名札の点検を実施することに反対して午前九時四〇分ころまで激しく抗議を行った。

(六) 原告村下福松及び同下川勝若について

前記原告三村義治の行為に同じ。

(七) 原告宮崎義夫について

(1) 前記原告今浪新太郎の(1)に同じ。

(2) 前記原告三村義治の(2)に同じ。

(八) その余の原告らについて

いずれも前記原告松本重瑠の行為に同じ。

(九) 処分の根拠法条

原告竹下及び同島内については、市労における役職及びその行為をあわせみれば一〇月八日の八幡西又は門司清掃事務所における争議行為において同人らが指導的役割を果したことは明らかである。同原告らの行為はいずれも地方公務員法(以下「地公法」という。)三二条、三三条、地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という。)一一条一項の規定に違反するので、被告は、地公法二九条一項一号の規定によりそれぞれ原告竹下につき給料日額二分の一の減給の処分を、同島内につき戒告の処分をしたものである。

その余の原告らの行為はいずれも地公法三二条、三三条、三五条及び地公労法一一条一項に違反するので、被告は、地公法二九条一項一号及び二号の規定により同原告らにつきそれぞれ戒告の処分をしたものである。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1の事実について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)(1)の事実は認める。

同(二)(2)の事実中、一〇月八日小倉西清掃事務所の作業員詰所二階において、同事務所の清掃作業員のほぼ全員である約一〇〇名の市労組合員が参加して、始業時の午前八時から同八時五七分までの間職場集会が開催されたことは認める。

同(二)(3)は争う。すなわち、同清掃事務所においては、平常始業時刻の八時から八時四〇分ころまでの間は指導員らによる作業員の作業配置がある以外は、作業員にとって作業車が来るのを待つための手待時間であり、具体的な作業はない。従って、同事務所における本件職場集会による具体的な作業開始時刻のおくれは、平常の場合と比較すればせいぜい二〇分程度にすぎず、これによって生じた同日の作業への影響は軽微であった。そして、ごみについては、当局が準備していた民間借上車及び管理者らによる直営車が稼働したこともあって、同日の未処理滞貨は生じなかった。し尿については、同日の作業車の延べ稼動台数は平常と比較して少なかったことは否定できず、その後の収集の周期が一時若干長くなる程度の影響が出たものの、これも短期間のうちに平常に復しており、しかもし尿の収集周期はある程度余裕をもって計画されており、これが若干長くなったとしても、市民生活に直接的に不都合が生じるものでもない。更に、北九州市当局は、本件当日小倉西清掃事務所において市労組合員による約一時間のストライキが行われることを事前に察知しており、これが市民生活に影響を及ぼさないための準備、対策を事前にとることができたのであるから、同事務所における本件ストライキはもともと市民生活に影響を与えるおそれもなかった。

同(二)(4)の事実中、一〇月八日小倉西清掃事務所では同一敷地内に隣接の小倉東清掃事務所から予備車を一台借りて作業をしようとしたこと、同日午前九時ころ組合役員が中心となって事務所に赴き右作業車の借上げについて所長大津正及び副所長中畑敬雄に対し抗議したこと並びに原告今浪新太郎及び同宮崎義夫が右抗議行動に参加したことは認める。但し、右抗議行動の理由は次の事情による。

当時、小倉区の清掃事務所は東、西の二つに分れており、西清掃事務所の職員は、管理職とわずかの非組合員を除き全員が市労の所属であったのに対し、東清掃事務所の職員は、ほとんど全員が北九州市職員労働組合(以下「市職労」という。)に所属し、組合組織の面からは明確な区別があった。これは、市労が昭和四一年の結成当初のいきさつから、市職労とは組織的に相互に強い対立関係にあり、北九州市当局も昭和四三年小倉清掃事務所を東、西に分離する際、その対立関係を考慮し日常の業務運営を円滑にするという観点から職員を組合組織別に東西に振り分けて配置したことによるものである。

そして、両組合の強い対立関係から、東西両事務所間で清掃作業用の車その他の物を貸し借りすることは、双方の組合員とも強く忌み嫌う傾向があり、当局もこの点を配慮し、本件当時まで民間から作業車を借りることはあっても東西の作業車の貸借は一切なかった。しかも小倉西清掃事務所においては、本件当時まで他から作業車を借りる場合、作業車一台あたりの作業員数、作業員の作業量に影響することから予め組合と協議するのが常であった。

ところが事務所側は、一〇月八日に限り事前に組合と相談することもなく東清掃事務所から作業車を借りてきたのであって、西清掃事務所の作業員が右の措置に対し抗議するのは正当である。

(三) 同(三)の事実中、一〇月八日門司清掃事務所大里作業所の作業員控室において、同所作業員約五〇名の市労組合員が、勤務時間内である午前八時五分ころから同八時三〇分まで職場集会を開催したこと及び市労本部副委員長の原告島内一雄が右職場集会に参加して職場オルグを行ったことは認めるが、その余は争う。

右職場集会の行われた時間帯は、平常の場合でも作業員の手待時間であり具体的作業はない。しかもこの時間帯には本件以外の日においても慣行として組合の集会、オルグ活動がしばしば行われており、当局もこれを黙認していた。従って、当日は未処理滞貨も生ぜず具体的な清掃作業への影響がなかったのはもちろん、業務の正常な運営を阻害するものでもなかった。

(四) 同(四)の事実中、一〇月八日八幡西清掃事務所宿直室において、同所作業員又は自動車運転手である約一〇名の市労の組合員が、午前八時五分ころから同八時二五分まで勤務時間内の職場集会を開催したこと及び市労八幡支部副支部長の原告竹下進が右集会に参加したことは認めるが、その余は争う。

右集会の影響についての主張は、前記(三)の門司清掃事務所大里作業所の場合と同様である。

2  抗弁2の事実について

同(一)ないし(四)の事実中、中畑副所長が一〇月二六日詰所に赴いた際職場集会が開催されていたこと及び同日午前九時四〇分頃まで原告らが不就労であったことは認める。一〇月二六日における闘争の実情は次のとおりであり、その主張に反する被告の主張は否認ないし争う。

(一) 昭和四二年三月谷市政が発足して以来、北九州市役所の現業労働者は、全国的に例のない大量の分限免職処分、給与表の分離改悪、勤務時間の延長、各種特殊勤務手当の一方的廃止、退職勧奨の強行等あらゆる合理化攻撃をうけ、これに対するささやかな抵抗運動に対しては、数次にわたる苛酷な懲戒処分が加えられた。原告ら現業労働者の労働条件は大幅に低下し、組合員の中には被告の労務政策に対する強い憤満が広がっていた。強い危機感が原告らをとらえ、これ以上の労働組合対策及び労務管理の強化に対しては、強く反撥せざるをえない客観的条件が市労組合員の中に存在していた。

(二) 本件闘争に先立つ一〇月二四日小倉西清掃事務所当局は、作業員詰所前に所長名義で一〇項目にわたる服務規律に関する文書の掲示を行った。右一〇項目中には団体交渉事項と考えられる事項が含まれていたため、市労小倉支部長早川進は、直ちに交渉を事務所に申し入れたところ、翌二五日の当局側の会議後に交渉するとのことであったので、同支部長は市労本部に赴き善後策をはかった。本部においては、急拠執行委員会を招集し、右一〇項目を検討した結果、①名札の点検による出退勤の確認、②半日休暇取扱いの廃止、③手待時間を含む勤務時間内の職場活動の禁止の三項目が特に問題であり、権力的性格の中畑副所長によって、服務規律改善に名を藉りた高圧的な労務管理が強行されることが懸念されたため、副所長会議の翌日である一〇月二六日朝、特に下原広志市労本部書記長、三村清正青年部長の二名を現地に派遣し、中央情勢の報告とともに、右一〇項目問題についての執行委員会の決定を伝達させ、当局側の出方いかんによっては強い抗議行動をとらせるべく、具体的戦術を右書記長に一任した。

(三) 一〇月二六日早朝、市労小倉西支部は通常の作業過程で生ずる手待時間を利用して職場集会を開き、下原市労本部書記長がオルグをしていたところ、中畑副所長は、組合側の予想どおり同書記長の発言を制止し、極めて高圧的な態度で、一〇項目の服務規律の厳守を即日実施に移す旨、一方的に申し渡した。原告ら小倉西清掃事務所の作業員は、それまでも出退勤に際して、一応名札の掛替えを行っていたのであるが、中畑副所長の申し渡しは、単に名札の掛替えの有無を点検するというのではなく、かならず所定の時間に指導員の面前で掛替えること、名札の点検によって出退勤、早退、遅刻等を確認すること、従って、従来の半日休暇の代替的取扱い方式として、必要やむをえないときは所定の時刻まで待機しなくても帰宅を認めていた慣行を取り止め、今後は如何なる場合でも早退についての便宜的取扱いを認めないという趣旨のものであった。

半日休暇問題は、条例規則上の建前と清掃作業員の作業実態との乖離矛盾を、労働者側に協力を求める形で解決してきたものであり、名札の点検のみによる出退勤の確認とともに申し渡し通り強行されれば、直ちに賃金カットにつながり、ひいては勤勉手当等にもはねかえってくる可能性を有しているのであるから、本来当局側の一方的な取扱いの変更や廃止に親しまないものであるといえる。それだけに中畑副所長の一方的な申し渡しに対して、原告ら組合員側から質問が投げかけられることは当然であり、就労が急がれていたとしても、一度その問題を切り出した以上は、その場で一応納得のいく説明をするか、或いは少なくとも説明の機会を持つことを約束すべきであったといえよう。しかるに、いわば言放しで質問を無視して就労を命じたのであるから、かねて同副所長の高圧的態度に対して強い反感を抱いていた原告ら組合員が、多少強く抗議したとしても当然の成行きというべきであって、格別非難するにはあたらず、むしろ中畑副所長の自招行為であるというべきである。市労本部書記長下原広志は、組合として右の点をあいまいなままにすますことは出来ないと判断して、意思統一のうえで所長との集団交渉を開始したのである。

一時間余に及ぶ抗議、交渉の後、組合側は所長の要請に従い、下原市労本部書記長、早川小倉支部長両名に交渉を一任して就労した。

(四) 一〇月二六日の闘争による滞貨は殆んど職制の動員及び若干の借上車によって収集され、住民生活に影響が及んだ事実はない。し尿等の収集の遅れは、むしろ一〇月八日、一〇月二六日の両闘争について一一月二日付の原告らに対する懲戒処分が発令されたことに対する超勤拒否闘争その他の抗議行動による影響によるもので、一〇月二六日闘争の影響ではない。

3  抗弁3の事実について

(一) 同(一)の事実中、原告竹下が一〇月八日被告主張の集会に市労八幡支部副支部長として参加したことは認めるが、その余は争う。

(二) 同(二)の事実中、原告島内が一〇月八日被告主張の集会に市労門司支部長及び市労本部副委員長として参加し、職場オルグをしたことは認めるが、その余は争う。

(三) 同(三)ないし(八)の事実中、原告らがいずれも一〇月八日の被告主張の職場集会に参加したこと、原告今浪及び同宮崎が右集会後の車借上げに対する抗議に加わったこと及び一〇月二六日午前九時四〇分ころまで原告らが不就労であったことは認めるが、その余は争う。

(四) 同(九)の処分の根拠法条については争う。

五  原告らの法律上の主張及び再抗弁

1  地公労法一一条一項は憲法二八条に違反する。

(一) 憲法二八条の規定中の「勤労者」には公務員が含まれ、地公労法の適用をうける企業職員及び現業職員が右勤労者であることは疑問の余地がない。しかるに、地公労法一一条一項は、右職員等の争議行為を一律全面的に禁止している。

(二) 労働基本権(争議権)も絶対無制約ではありえず、他者の人権と衝突する場合に制約をうけることもありうる。しかし、その際、労働基本権が労働者の生存権に直結する権利でありその生存を維持向上させるに必要不可欠の手段であるということ及び殊に争議権は性質上その行使によって使用者はもちろん第三者に何らかの損害ないし迷惑を与えることを前提としているものであることが想起されなければならない。労働基本権を制約するについては、それが合理性の認められる必要最少限度のものでなければならず、制約の合理性、必要性の有無及びその程度、争議行為がもたらす国民生活の具体的影響につき、個々の争議行為毎に考察し、より制限的でない手段、方法を探求すれば足りるのであって、争議行為を全面一律に禁止する必要性、合理性は全くない。争議権が第三者に対し必然的に迷惑を及ぼすものである以上、官公労働者の争議行為による日常生活の便益の一時的喪失といった程度のことは争議権制限の根拠とはなりえず、これを禁止しうる契機としては、侵害される法益が生存権実現の手段としての争議権に優越しうるものであり、一旦それが侵害されたならば回復できない性質のものでなければならず、これは具体的には他者の生命身体の安全とか健康といった人間の生存に密着した法益に限られる。そして、その他の法益が侵害されるような場合であっても、基本的には禁止以外の他の手段を個別的に考察すれば足りるのである。

以上、争議権を制約するについては、制約の必要性の有無とその程度を個々の争議行為ごとに具体的な影響を考慮しつつ検討すればよいのであって、これを一律全面的に禁止した地公労法一一条一項は不合理かつ違憲の法令である。従って、原告らの行為が同法条に反したからといって直ちにこれを適用して懲戒処分を課すことはできない。

(三) 争議行為禁止合憲論の根拠とされるものは、一般に①公務員の全体の奉仕者たる地位、②勤務条件決定の特異性、③公務員の職務の公共性、④代償措置の存在が挙げられる。

しかし、公務員に争議権を認めることが国民の一部の利益に奉仕することになるわけでもなく、公務員が全体の奉仕者であることと両立しないわけではない。また、公務員は住民全体に対して労務提供義務を負うといってみたところで、比喩的な意味以上に法律的な意味をもちえない。次に、勤務条件決定の特異性についていえば、単純労務に雇用される一般職地方公務員については、地公労法(一七条を除く。)及び地方公営企業法(以下「地公企法」という。)三七条ないし三九条が準用され、地公企法三八条四項によれば、職員の給与の種類及び基準は条例で定めることになっているが、これは抽象的なものであり、具体的に賃金その他多くの部分は地公労法七条によって団体交渉の対象とされ、これにつき労働協約を締結することができる(但し地公労法一〇条の制限がある。)のであって、単純労務職員についてはいわゆる非現業地方公務員の勤務条件決定の過程と異なり、明文上労働基本権制限の程度も緩和されているのであるから、勤務条件決定の特異性は争議権制限の理由とはなりえない。また、職務の公共性についても、公務の内容は多様であるにもかかわらず、その内容いかんを問わず争議行為を禁止することによって住民の受ける利益が憲法上保障された労働基本権に常に優先すると解することはできない。更に代償措置の存在についていえば、第一に代償措置は、労働基本権の制約が合憲と認められる場合に初めて問題となるのであって、代償措置さえ定めれば制約が合憲となるというものではなく、第二にその代償措置は、制度的にも現実の機能においても労働基本権保障の趣旨にそい、労働基本権行使によって保障される生存を十分に確保しうるものでなければならない。しかるに、地公労法の規定する勤務条件についての利益保障の定めは著しく実効性を欠き、争議行為禁止の代償として不完全、不十分なものである。

以上のとおり、地公労法一一条一項の合憲論の根拠はすべて理由がない。

2  本件各争議行為は、いずれも地公労法一一条一項で禁止された争議行為に該当しない。

(一) 仮に、地公労法一一条一項が憲法二八条に違反しないとしても、争議権保障の趣旨に則れば、右法条は少なくとも憲法二八条に適合するよう適切な限定解釈が施されるべきである。

そして、憲法二八条の趣旨と調和するよう解釈するとすれば、それは、地方公共団体の業務もしくは職員の職務の公共性の強弱と争議行為の種類、態様、規模とを相関関係的に考慮し、その公共性の度合、争議行為の態様等に照らして住民生活全体の利益を害し、住民生活への重大な障害をもたらすおそれのある争議行為に限りこれを禁止したものと解することになる。

(二) ところで、原告らの従事するごみ、し尿の清掃業務は、市民の保健、衛生とかかわりを持ち、これが停廃し長期に及んだ場合には、なるほど住民の生命、健康、公衆衛生に重大な障害をもたらすおそれがあると一般的にはいえるであろう。しかし、清掃業務の短時間の停廃は、所定の収集計画に若干の支障を与えるとしても、当日ないし後日の努力によって十分回復可能であり、また、他に民間への委託ないし管理職員等の代替労働によって、短時間の停廃による清掃業務の遅滞は容易に補充できるものである。

とすれば、地公労法一一条一項で禁止する争議行為には、本件清掃業務の場合のように短時間にわたる業務の停廃であって、ごみ、し尿の収集計画が若干延長し住民生活へ単なる迷惑を及ぼす程度のものは、これに該当しないというべきである。

(三) そして、本件一〇月八日ストライキは、人事院勧告完全実施を目的として、自治労の方針に基づき市労の指令のもとに統一的に実施されたもので、ストの態様も単なる労務不提供にすぎず、その規模も始業時から一時間以内のごく短時間のものであって、その影響も、ごみについては当日収集予定の約二五パーセント、し尿については二二パーセントの滞貨を生じる程度のものであった(ごみについては民間委託や代替労働により同日中に滞貨処理が完了しており、結局現実の市民生活には何らの支障もなかった。)。

また、一〇月二六日ストライキの場合にも、被告主張によれば、ごみについては当日の収集予定の約一九パーセント、し尿については約三二・四パーセントの滞貨を生じたというのであるが、いずれも民間委託ないし代替労働により当日中にほとんど滞貨処理がなされた。

(四) 従って、本件一〇月八日、一〇月二六日ストライキとも地公労法一一条一項で禁止された争議行為に該当しないから、同法条違反を理由になされた本件原告らに対する懲戒処分は違法である。

3  一〇月八日の争議行為は労働組合の正当な行為である。

(一) 昭和二三年の政令二〇一号以降、官公労働者のストライキ権は全面的に剥奪された。ただ他方で、その代償措置として労働条件、特に賃金については人事院、人事委員会の勧告の制度、公労委の仲裁制度という特殊の決定方式を導入したが、それは実質的には官公労働者の賃金決定への関与を封じ、ひいては我国労働者の賃金水準を低位におさえこむことにあった。

すなわち、人事院勧告の制度についてみれば、人事官が基本的に使用者たる内閣によって任命され、その大半が使用者側の立場の者によって占められるという構成上の問題があるほか、勧告をなすことが義務付けられておらず、また、なされた勧告には法的拘束力がないこと及び勧告の基礎となる官民給与格差の測定につきなされる民間企業との比較が極めて恣意的あいまいになされることから、人事院勧告の内容は極めて低額なものに抑えられていた。のみならず、政府がその勧告を実施するについても、本件争議に至るまでその金額及び実施時期の双方において完全に実施されたことは一度もなかった。

地方公務員の給与についての人事委員会の勧告についても事情はほぼ同様であるが、更に、法制上のみならず、地方自治体の自主性喪失、国家権力の指導強化、人事委員会の調査能力等の点から実際上も、国家公務員についての人事院勧告及び閣議決定に大きな影響をうけるしくみとなっており、人事委員会の勧告は、人事院のそれが出された後に出され、しかも人事院勧告を下回るかこれに従うのが通例となっている。

(二) 昭和四三年度の人事院勧告は八月一六日に出されたが、その内容は民間賃金の上昇率を反映しない低率のものであったこと、引上額の配分の点が偏頗であったこと、賃金体系の出発点ともいうべき初任給が低賃金に維持されたこと、標準生計費が低額に算定されていることなど極めて不当なものであった。そして、政府は、このように政府にのみ不当に有利な勧告すらその完全実施を肯じなかったのである。

(三) このような不当な賃金決定に対し、人事院勧告完全実施を要求してなした一〇月八日の争議は、その目的において正当であり、原告らは、その目的の下に自治労の指令をうけて闘争を行ったものであるが、その態様からいっても正当な組合活動であるというべきである。すなわち、本件一〇月八日の争議は労働組合の正しい要求に基づく正当な行動であり、右行動を理由として懲戒処分をうけるいわれはない。

4  地公労法一一条一項と地公法の義務規定及び懲戒規定はその適用対象及び目的を異にする。

懲戒処分は、公務員の義務違反に対してその使用主である地方公共団体が公務員法上の秩序維持のため、使用主として行う制裁である。そして、地公法二七条三項は懲戒事由法定主義を規定し、これをうけて同法二九条一項は懲戒事由を掲げ、同法第三章第六節「服務」に職員の義務が規定されている。ところで、これら職員の義務及び義務違反に対する懲戒は、本来地方公共団体と職員各個人間の個別的勤務関係を前提とし、個人的非行を対象としたものであり、右の義務違反につきなされる懲戒処分も公務員関係の秩序維持という使用者としての地方公共団体の法益を守るためのものである。

これに対し地公労法一一条一項は、集団的労使関係としての争議行為をその対象とするが、これは正常な勤務関係からの離脱をその本質とする、参加者個人の行為に還元できない組合それ自体の意思に基づく団体行為である。また、同条の目的は、使用者の法益保護にあるのではなく国民生活全体の利益を守ることにあるのであって、地公法の義務規定とは異質の政策的規定である。

以上のとおり、地公労法一一条一項は、地公法の義務規定及び懲戒規定とは対象、目的を異にした政策的規定であるから、まず第一に、地公労法一一条が適用されるときは、右義務規定は排除される関係(法条競合の関係)にあると解すべきであり、第二に、地公労法一一条一項違反の争議行為を理由として(争議行為に通常随伴すると認められない行為をした場合は格別)その参加者個人に対し懲戒処分をすることは違法であると解すべきである。従って、被告は地公労法一一条及び地公法三二条、三三条、三五条違反を理由に本件処分をしたものであるが、地公労法一一条一項を適用しながら地公法の義務規定をも適用している点及び原告らの争議行為を理由に本件処分をなした点は違法というべきである。

5  本件処分は懲戒権の濫用である。

仮に、本件各闘争が地公労法一一条一項に違反するという前提に立って、各原告らの本件各闘争への関与とそれに対する本件処分の相当性をみるに本件各闘争の動機・目的・態様・規模・影響等諸般の情状を勘案すれば、本件処分は著しく重きに失し、懲戒権の濫用といわざるをえない。

なお、本件原告らに対する懲戒処分の対象とされた非違行為は、いずれも本件一〇月八日ストライキ、一〇月二六日ストライキへの単純参加行為であり、特段問責しなければならないような非違行為は存在しない。

原告らについて、いずれも戒告という一律処分が課せられているのはその所以でもある。

(一) 一〇月八日闘争及び一〇月二六日闘争について

(1) 本件一〇月八日闘争は、公務員共闘会議第九次賃金闘争の統一行動として、「人事院勧告完全実施」という目標を掲げて実施されたものであったが、北九州市においては谷市政誕生以来賃金その他全ての労働条件に激しい合理化攻撃が加えられた結果、昭和四二年の賃金改訂はほとんど定期昇給のみであって、人事院勧告を大幅に下回った賃金改訂に終わり、特に市労が組織している現業職員にあっては前年度の不利益に加えて、四月より一般職と現業職の賃金表が分断されたため、一人当り一万円にも及ぶ賃金ダウンの状況にあった。

従って、一〇月八日闘争に際しては、組合員個々人の闘争実施の意欲は強く、これら組合員の民主的討議の積み上げの上に、自治労本部の指令に基づき本件一〇月八日闘争に突入したものである。

また、その態様も勤務時間内職場集会の形態をとった単純不作為の争議行為であって、規模も最大始業時から五七分という程度の短時間のものであった。闘争時間帯の大部分は作業手待時間に該当するものであり、闘争が及ぼした影響についても、ごみについては未処理滞貨は生ぜず、し尿についても一定地区において収集の周期が一時若干長くなる程度であったが、これについても一一月に入れば民間車の借上げ等により平常の周期に回復し、市民生活に対する影響は軽微であった。

(2) 一〇月二六日ストライキにおいても、その背景・動機を形成しているものは、現業労働、とりわけ清掃労働者の職場実態や労働慣行を無視し、服務規律に名を藉りて、一方的な労務管理を推進しようとする中畑副所長ら職制の行為と、谷市政誕生以来現業労働者に加えられた二六六名の分限免職処分、給料表の分断、勤務時間の延長、各種特殊手当の一方的廃止等の合理化攻撃のため、現業労働者の労働条件が日ごとに低下していった事実である。一〇月二六日ストライキが、早期に組合員の意思結集をみて実施されたということがその事実の何よりの証左であろう。

一〇月二六日ストライキは、服務規律に名を藉りた一〇項目の厳守事項が、組合員の交渉事項になり、また、これまでの既得権・労働慣行を破棄するものであるところから当局側に抗議し、かつ善処を求めて勤務時間内職場集会という単純不作為の争議行為に訴えたものである。

また、勤務時間内といっても当初それは手待時間を利用したものであったが、中畑副所長ら当局側職制の理不尽かつ権力的な介入をみて、組合員が誘発され、当局に抗議するに及び、全体として集会時間が一時間余り続いたものであったが、それは収拾の経過からみても判明するように当局側職制が交渉の約束をすれば直ちに集会は中止されたものであったたから、その非は全て当局側が負うべきである。

なお、一〇月二六日ストライキによって、ごみ、し尿につき若干の未処理滞貨を生じたが、それらは民間借上車や管理職の投入により一部地区についてし尿の収集周期が延びた以外は全て回復されており、市民生活に対する影響は軽微であった。

(二) 人事院勧告完全実施要求の正当性と懲戒処分抑制の契機

本件一〇月八日闘争の目的の正当性は一点の疑問の余地なく認められる。要するに、人事院勧告の完全実施要求は、公務員として当然の、かつ最少限度の要求であって、勧告の完全実施という最低限の責務を懈怠した政府や自治体当局に対して争議行為がなされたとしても、これに対する懲戒処分が許容される道理はない。

(三) 本件各闘争の影響の軽微性と懲戒処分抑制の契機

労働基本権の制限は国民生活の利益保障との観点から政策的に課せられたものと解すべきであるが、そうである以上「国民生活全体の利益」の名をもって一律無制限に争議行為を禁止の対象にし、かつその違反に対して制裁を加えるべきではない。すなわち、ある行政目的をもった法規の違反に対する制裁は、その目的を達するために合理的と認められる必要最少限度のものでなければならず、従って、「国民生活全体に重大な支障をもたらす」争議行為に限って禁止の対象となるというべきであるし、また、そうでないとしても少なくとも国民生活全体にさほどの支障を与えなかったということは、禁止規定違反という非難可能性としての懲戒処分の発動を抑制するものと解さざるをえない。

(四) 被告の処分内容の大量・苛酷性

本件処分の濫用性を判断するには、本件各闘争に対する被告の処分状況だけではなく、殊に谷市政誕生以来の被告の北九州市労連及び市職労に対する処分攻撃を抜きにしては考えられない。

谷市政の合理化攻撃は労働者にとって極めて熾烈なものであったが、被告の処分攻撃はまさに右の合理化攻撃を組合側の抵抗なくして貫徹するための一手段として位置付けられる。被告の処分は年度によっては全国の自治体処分の全てであったり、ないしは三分の一以上をしめるものである。そして、闘争の多くが自治労も加盟している公務員共闘会議の統一闘争であったことを考慮すれば、被告の異常な大量苛酷な処分は、まさに懲戒制度の本質と目的から逸脱し、組合の組織破壊を狙った不当な意図によるものと断ぜざるをえず、動機において既に濫用というほかはない。

また、戒告処分といえども、それは将来にわたって単に戒めるというにとどまらず、三か月の昇給延伸という不利益をもたらし、その不利益は将来にわたって特段の事情のない限り回復されることはなく、退職金、年金にも重大な不利益をもたらす。

(五) 他の処分事例との比較

全国的にみても、一〇月八日闘争で懲戒免職が出された事例は、北九州市以外に数か所の自治体でみられたが、北九州市を除いて他は全て免職処分の撤回という和解がなされているし、又その後の累次の闘争でも、北九州市を含めて統一闘争を理由にかくも大量かつ苛酷(全て実害を与えるという意味で)な懲戒処分が発令された事例はない。

(六) まとめ

以上のとおりであって、本件各懲戒処分は合理的な妥当性を欠き、被告に認められた裁量権の必要な限度を超えるもので、懲戒権の濫用といわざるをえない。

六  原告らの前記五の各主張に対する被告の反論

1  五1、2の主張に対して

公務員の争議行為禁止規定の合憲性については、最高裁は、非現業の国家公務員につき全農林・警職法事件判決(昭和四八年四月二五日)において、非現業の地方公務員につき岩教組事件判決(昭和五一年五月二一日)において、現業の国家公務員につき全逓名古屋中郵事件判決(昭和五二年五月四日)において、それぞれ全面一律禁止を合憲と判示し、更に同じ現業国家公務員の懲戒処分に関する全逓東北地本事件判決(昭和五三年七月一八日)においても、いわゆる限定解釈により公務員の争議行為禁止規定を合憲とする見解を否定し全面一律禁止合憲論で最高裁判例は確立されている。

地公労法一一条一項の争議行為禁止規定は公共企業体等労働関係法一七条一項と全く同趣旨のものであり、この合憲性について判示している前記最高裁全逓名古屋中郵事件判決、同全逓東北地本事件判決の見解は、地公労法一一条一項の解釈についても直ちに妥当するものである。従って、原告らの地公労法一一条一項違憲の主張及びその限定解釈論を前提とした本件各争議行為が地公労法一一条一項の争議行為に該当しないとの主張は、採用することができない。

2  五3の主張に対して

以上述べたとおり、現業地方公務員の争議行為について地公労法一一条一項は、一切の争議行為を禁止しているから、職員が法を犯して行った争議行為のうちになお正当な行動が認められるとしてこれについて懲戒処分をすることができないと解する余地はない。

3  五4の主張に対して

(一) 現行法上、地公法五七条規定の単純労務職員は一般職に属する地方公務員として地公法の適用をうけるものであるが、同時にその労働関係その他身分取扱いについては地公労法及び地公企法三七条ないし三九条が準用されている(地公労法附則四項)。地公法と地公労法の関係については地公企法三九条により一定の範囲で地公法の適用が除外されているが、それは地公労法が職員の給与その他の労働条件を団体交渉の対象とし、これに関し労働協約を締結することができるとした(七条)ので、地公法中公務員の給与その他の労働条件に関する規定を、地方公務員たる本旨に触れない限りこれら職員には適用しないという趣旨に基づくものである。しかし、これらの職員は、その身分においては一般職に属する地方公務員であるから、地方公務員たる地位と不可分の規定は適用を除外されない。すなわち、職員の勤務関係の基本をなす任免、分限、懲戒及び服務の関係については、ごく限られた一部の規定(地公法三六条)がその適用を除外されるほかは、地公法の規定がすべて適用されるのである。そして、職員が違法な争議行為を行った場合でも、服務関係については地公法の適用があるから、地公労法一一条一項違反となると同時に地公法上の義務規定違反ともなるのである。

従って、原告ら主張の法条競合論は、理由がなく失当である。

(二) 原告らは、地公労法一一条一項違反の争議行為を理由としてその参加者個人を懲戒処分することは違法である旨主張するが、労働者の争議行為は集団的行動ではあるが、その集団性ゆえに参加者個人の行為としての面が当然に失われるものでない以上、違法な争議行為に参加し服務上の規律に違反した者は、懲戒責任を免れえないものである。

4  五5の主張に対して

懲戒権は、特別権力関係の一方の当事者である地方公共団体に属し、地公法六条一項の規定により任命権者がこれを行使するものとされている。元来、懲戒権の行使は、裁量行為であり、任命権者は、同法二九条一項の規定による職員の行為が懲戒事由に該当する場合、これに対し懲戒処分を行うかどうか、また処分を行う場合にいずれの処分を行うかは、任命権者が具体的な事情に応じて裁量により決定することができるのである。

小倉西清掃事務所においては、従前から職員の服務規律が著しく弛緩しており、常習的に遅刻する者、終業時前に退庁する者が多く、服務規律維持のため、管理職が再三、再四にわたって注意指導してきたにもかかわらず、その状態は容易に改まらない状況にあった。

そのような状況下で、本件小倉西清掃事務所における争議は同事務所の作業員のほぼ全員ともいうべき約一〇〇名の者が、管理職の再三にわたる就労命令を無視し、一〇月八日は五七分間、一〇月二六日は一時間三〇分にわたり、職場集会に参加するなどして職務を放棄したものであった。

原告らの行為は単に労務の不提供にすぎなかったというものではなく組合の指令により集団的、統一的に行われたものであり、その集会等に参加し、職務を放棄したことは、それ自体必然的に正常な運営の阻害を意図する行為ということができ、争議行為の典型をなすものである。従って、現に業務の正常な運営を阻害したかどうか問うまでもなく、地公労法一一条一項の争議行為禁止規定に違反する。

更に、職員が違法な争議行為を行った場合、地公法に規定する服務義務規定、すなわち、職務専念義務を定めた規定(三〇条、三五条)、法令及び上司の命令に従う義務を定めた規定(三二条)等に違反する。従って、右行為は地公法二九条一項各号に定める懲戒事由に該当し、その行為者は懲戒責任を免れえない。

被告市長は、本件一〇月八日争議(小倉西清掃事務所関係者については一〇月八日争議及び一〇月二六日争議)において、違法行為のあった者に対し、その行為の態様等諸般の事情を勘案のうえ、原告らを含めて免職、停職、減給、戒告の計一〇七名の懲戒処分を行うとともに、比較的短時間の集会参加者一四五四名について訓告を行うなど、全体的な均衡のもとに違法行為の程度、態様に応じそれぞれ適正に処分を行ったものであって、これを懲戒権の濫用とする原告らの主張は失当である。

第三証拠《省略》

理由

第一  請求原因1、2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

第二  そこで、本件各争議行為に至る経緯及びその態様等につき判断する。

一  一〇月八日の争議について

1  争議行為に至る経緯

(一) 《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

公務員共闘会議は、公務員労働者の生活と権利の確立等を目的として総評傘下の官公労組を中心に結成された共闘組織であるが、昭和三五年二月結成以来公務員の労働条件の改善、とりわけ公務員賃金の引上げを当面の目標として掲げ、毎年政府及び人事院に対して賃金闘争と称して要求活動を展開してきた。

昭和四三年のいわゆる第九次賃金闘争は、政府が同年度予算の基調に総合予算主義をとり、従来補正予算で措置されてきた公務員給与改定財源をはじめて当初予算にに計上し、賃金改定の源資をその枠内に止めようとするいわゆる所得政策の方向を打ち出したことに対応し、既に二月ころからその取り組みがなされた。

公務員共闘会議は、その試算によると、右総合予算に従えば、公務員賃金の引上率が実施時期を四月として四・五パーセント、昭和四二年度と同様の八月実施として七・二パーセントの上昇に抑制されることになるとして右政策に強く反対し、賃金の大幅引上げの実現を目指すと同時に総合予算主義を打破するため、まず人事院勧告において大幅な賃上げを引き出すべく第九次賃金闘争の方針を決定した。そして、公務員共闘会議は、人事院が三月中旬同年度の職種別民間給与実態調査の準備を進めたのに対し、右調査が人事院勧告のいわば設計図となることから、①調査企業規模の引上げ及び調査対象従業員を定年前のものとすべきこと、②いわゆる春闘積上分を捕捉すべきこと、③諸手当及び一時金調査の改善、④法定外福利関係の実態調査実現等の諸点を中心として調査要綱及び調査票決定について人事院と交渉したのをはじめとして、種々の要請行動を展開した。

人事院は、八月一六日俸給、諸手当その他合計で平均八パーセントの賃上げ(五月一日実施)を含む賃金の改善等につき政府及び国会に対して勧告を行った。自治労は、同月二四日から二七日まで熊本市で行われた第一七回定期大会で人事院勧告後の情勢から、①人事院勧告の五月実施、②最低三五〇〇円引上げの保障、③地方財源確保等を目標に政府交渉を行い、かつ、閣議決定期へむけて、①九月一〇日三割休暇動員による地区集会、②九月二五日全員参加による時間外地域大決起集会及びデモ、③一〇月八日始業時から一時間以上のストライキ(職場集会)を行うことを決定した。ところが、閣議決定は、公務員共闘会議及び自治労の予想より早く八月三〇日になされ、しかもそれは通勤手当(五月実施)を除き八月実施を内容とするものであった。そこで、公務員共闘会議は、当時の田中給与担当大臣(総務長官)に対し人事院勧告の完全実施方を強く要請する一方、常幹、幹事会の合同会議を開き、閣議決定に対する抗議声明を出し、かつ、一〇月八日のストライキを既定方針どおり行うことを確認し、九月一〇日に予定されている第六次統一行動成功のため各県公務員共闘への要請の打電をそれぞれ決定し発表した(但し、自治労が八月二四日から同月二六日までの間、熊本市で開催された第一七回定期大会において、公務員賃金の引上げ、人事院勧告の完全実施等を要求して一〇月八日に始業時から一時間の全面ストライキを行うことを決定したことは当事者間に争いがない。)。

自治労福岡県本部は、九月三〇日、一〇月一日の両日にわたり同県本部の定期大会を開き、前記自治労の決定した方針を確認したうえこれを確実に実施すること及び地域における他の労働団体とともに闘う方針を決定した。

以上の事実を認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

(二) 原告ら所属の市労は、各区に支部を設置し、その傘下の組合員約七〇〇名を擁し、上部団体である自治労に加盟しているところ、九月二九日右自治労の方針に従い一〇月八日始業時から一時間のストライキを行うことを決定し、以後その準備をしてきた。そこで、被告は、このストライキを未然に防止し、市の業務運営に支障なからしめるため、一〇月四日市労に対し、市職員がストライキを行うことは違法行為であるので中止するよう警告書を交付し、更に同月七日各職員に対しても警告書及び職務命令書を交付し、職務に従事するよう命じた。

以上の事実は当事者間に争いがない。

2  小倉西清掃事務所関係

(一) 小倉西清掃事務所においても、一〇月四日事務所及び作業員詰所に市長名による警告文を掲示するとともに、同月七日各職員に対し前記警告書及び職務命令書を交付し、職務に従事するよう命じたこと及び一〇月八日同詰所二階において、同事務所の清掃作業員のほぼ全員である約一〇〇名の市労組合員が参加して始業時の午前八時から同八時五七分までの間職場集会が開催されたことは当事者間に争いがない。

(二) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

右の勤務時間内職場集会によってその間前記作業員らが職場を放棄したため、同日の同事務所の業務が阻害され、ごみ二五トン(収集予定量の約二五パーセント)、し尿約一九キロリットル(収集予定量の約二二パーセント)の滞貨を生じるに至った。

すなわち、平常勤務の場合であればごみについては延稼働台数六五台分を搬送すればほぼ計画収集にみあうところ、同日は右職場集会のため延稼働台数四四台分しか処理できず、延稼働台数二一台分の滞貨を生じた。そして、当時北九州市では原則として容器収集方式で週二回の収集を行っていて、住民がごみ回収日にごみを回収場所に出すことになっていたので、滞貨を放置することができず、同事務所は、勤務時間後に、民間業者から小型機械車一台、中型ダンプ車三台を借り上げ延一三台を投入し、かつ、同事務所の所長以下の管理職が直営車の中型ダンプ車四台(延八台)を稼働させてごみ滞貨の収集作業に従事したことにより、同日中に滞貨処理を完了した。しかし、し尿については平常勤務の場合一日一〇台の車が延三五台分搬送することによって一区域につき二〇日周期の収集を行う体制であったところ、当日は前記集会のため延二七台分の搬送にとどまったため、稼働台数延八台分の未処理滞貨を生じたまま後日の収集に持越されたため、二〇日周期の計画収集が若干延長した。そして、その後の一〇月二六日の争議及び本件処分に対する超勤拒否闘争によっても未処理滞貨が出たため、同事務所は、一一月になって民間車を相当数借上げてこれを投入し、累積した未処理滞貨を処理した。

以上の事実が認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。

(三) 一〇月八日小倉西清掃事務所では同一敷地内に隣接する小倉東清掃事務所から予備車を一台借りて作業をしようとしたこと、同日午前九時ころ組合役員が中心となって小倉西清掃事務所に赴き右作業車の借上げについて大津正所長及び中畑敬雄副所長に対し抗議したこと並びに原告今浪新太郎及び同宮崎義夫が右抗議行動に参加したことは当事者間に争いがないところ、右争いない事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

小倉西清掃事務所では、一〇月八日し尿車が車検、修理のため不足していたことから、同じ敷地内に隣接する小倉東清掃事務所から予備車を一台借りて収集作業を計画した。中畑副所長は、同日朝、詰所外の脱衣箱付近で職場委員長の原告今浪新太郎に対し、車を借上げてきているから組合員らと話し合いをしようと申し入れたので、右原告今浪は、前記職場集会終了後の午前九時ころ市労小倉支部支部長であった早川進にその旨伝えた。同人は、更にこれが既に配車済であると聞き及んだため、そのことの確認とともに、もしそうであるならば抗議すべく三村清正ほか組合役員ら数名(原告今浪新太郎及び同宮崎義夫を含む。)と、小倉西清掃事務所の大津正所長の許に赴いた。このとき他の一般組合員二〇ないし三〇人も同事務所に詰めかけ事態の推移を見守っていた。早川は大津所長と机をはさんで対座し、他の組合役員ら数名はこれを取り囲むような態勢をとり、早川が同所長にどこから車を借りてきたのかと質したのに対し、同所長は、小倉東清掃事務所から借りて来て既に配車済みである旨返答した。ところで、従来民間業者等から清掃作業車を借上げる場合には事前に事務所側と組合側とで交渉したうえで実施していた。また、東西両清掃事務所の作業員は殆んど所属組合を異にし(西清掃事務所は市労、東清掃事務所は市職労)、ほぼ二分された形となっていて、市労結成当初のいきさつから相互の組合員間に感情的な対立があり、当時までその対立が尾をひいていた関係上、東西両事務所間で作業車の貸し借りをすることを忌み嫌う風潮があった。そこで、当日西清掃事務所が東清掃事務所から清掃車を借上げ既に配車済みであったことに対し、組合役員らは感情的な抗議をする結果となった。そして、早川の所長に対する抗議中、所長の隣席にいた中畑副所長が「それは管理運営事項じゃないか、何で抗議されるのかわからない。」と発言したところ、日頃の同副所長の服務規律遵守についての厳格な姿勢とその高圧的な態度に対する反発もあって、三村清正、牧野茂夫は同副所長の前に詰め寄り、感情的になってこもごも「他から車を借りてまで働かせんでもいいではないか、人が余っておれば他の車につければいいではないか。」とか、「横から口を出すな、近ごろおとなしくしておればやりきらんと思っているのか、やってやろうか。」「やりきらんと思っていたら大間違いだぞ。」などといって激しく抗議した。

以上の事実が認められ、これを覆えすに足る証拠はない。

ところで、原告らは、東西両清掃事務所の作業車の貸し借りは両事務所の作業員の対立関係を当局も考慮し従来一切なかった旨主張し、《証拠省略》にもこれに副う部分があるが、《証拠省略》によれば、昭和四四年六月小倉清掃事務所が東西両清掃事務所に二分されて以来、両事務所間では、清掃車が故障や車検等で不足した場合には、東西清掃事務所の両運輸係長同士の話し合いによって相互にその貸借がなされていたが、本件に至るまではこのことにつき組合側から何らの抗議もなかったことが認められ(る。)《証拠判断省略》もっとも、《証拠省略》によれば、清掃車が何れの事務所の所属であるかは、車両番号から識別できる程度であって、その他清掃車自体にその旨の表示はなく、作業員にとっては一見して判明することはできなかったことが認められ、このことからすると、従来は市労組合員は東清掃事務所からの作業車の借上げにつきその事実を認識しえず、従って抗議もなかったものと推測される。ところが、本件の場合には、市労組合員らは中畑副所長から通知をうけたことによってその事実を知り、前記の如く抗議行動に発展したと考えられる。

3  門司清掃事務所関係

一〇月八日門司清掃事務所大里作業所の作業員控室において、同所清掃作業員である約五〇名の市労組合員が、勤務時間内である午前八時五分ころから同八時三〇分まで職場集会を開催したことは当事者間に争いがない。

4  八幡西清掃事務所関係

一〇月八日八幡西清掃事務所の宿直室において、同所清掃作業員又は自動車運転手である約一〇名の市労組合員が、午前八時五分ころから同八時二五分まで勤務時間内の職場集会を開催したことは当事者間に争いがない。

二  一〇月二六日の争議について

1  紛争に至る経過

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

小倉西清掃事務所は、昭和四二年六月一五日小倉清掃事務所が東西に分割されて設立された。小倉西清掃事務所の清掃作業員の勤務時間は午前八時から午後三時五〇分までとなっていたが、現実には右勤務時間が厳守されない傾向にあった。昭和四三年当時、同事務所の清掃区域では原則として各戸ともごみについては一週間に二回、し尿については二〇日に一回の計画収集が実施され、ごみ、し尿とも清掃作業車の一日の車種別収集搬送回数及び一台の積載量の基準があり、それを基礎として作業計画が樹立されていた。そうして、清掃作業員の作業の実態は、午前八時に事務所に出勤し、清掃作業車が湯川の車庫から同事務所に到着する午前八時一五分ないし四〇分ころまでは待機時間(手待時間)であり、その間に作業配置(手割り)がなされ、その後清掃車で当日の収集区域の収集作業にあたり、予定の収集が終り次第午後二時ないし二時三〇分ころまでの間には大半の作業員が事務所に帰り、三時前後に入浴をすませていた。このような勤務の実情であったから午前八時の出勤時間は特定の数人を除き殆んどの作業員がこれを遵守していたものの、午後三時五〇分の退庁時間については、作業員の待機場所である詰所が粗末で不衛生だったこともあって、大半の作業員がこれを遵守していなかった。すなわち、当日の収集作業を終え事務所に帰った場合、退庁時間を待たず管理職に届出て退庁する者、何ら届出なく無断で退庁する者、はなはだしきは収集作業を終え、事務所に帰らないまま現場から直接帰宅する者等もあって、退庁時刻まで待って退庁する者の方が少ない状況にあった。

このような勤務時間の不遵守に対し、同事務所では、手待時間を利用し服務規律の遵守につき注意し、あるいはこれを掲示し、また、作業現場から直接無断で帰る者などについては、明朝出勤の際その理由を聞き、悪質な場合には給与減額等相応の措置をとってきた。

同事務所では、清掃作業員の出・欠勤を明らかにするために出・勤簿があったが、これとは別に各作業員の出欠勤の状況把握と手割りの便宜のため名札板が詰所に設けられていた。そして、従来から、各作業員は、出勤時に右名札を表(黒色)にし退庁時には裏(赤色)に返すという制度があったが、必らずしも厳格に守られておらず、また、果して本人自身の手によって名札の掛替えがなされているかどうか疑問の余地もあった。そこで、同事務所では、勤務時間を確実に励行させる方法として、右名札を利用し、午前八時五分ころ及び午後三時四五分ころ管理職立会の下に本人の手によって右名札を表裏させることによって、出・欠勤状況を把握しようと企画した。

一〇月一八日、同事務所は、市労の小倉支部に対し、右の名札の点検による出退勤の確認(以下「名札点検」という。)を実施する旨通告するとともに、その旨職員全員を集めて説明したところ、反対があったため、市清掃事業局長の意見を求めた結果、管内の各清掃事務所で統一的に名札点検を実施する方針である旨の指示をうけたので、同月二四日の午後、詰所横にある掲示板に「勤務時間の厳正について」と題して、局長名で「職員の勤務時間は、条例および就業規則により午前八時〇分から午後三時五〇分までと定められているが、一部に勤務時間が守られていないむきがあるやに聞いていることは、まことに遺憾である。勤務時間中に職場を離れたり、退庁すると給与減額することがあるので、勤務時間を厳守されたい。」との職員各位宛とした警告文を掲示した。そして、清掃事業局は、翌二五日同局管内の七つの清掃事務所及び三工場の副所長会議を開き検討した結果、同月二六日から統一して名札点検を実施するとの方針を決定した。

他方、市労では、小倉支部から前記名札点検の申入れ及び警告文の掲示の報告をうけたので、同月二四日急拠執行委員会を開き、名札点検の実施とこれに関連する半日休暇に関する取扱い、手待時間における職場活動の問題等につき検討した結果、これらは服務規律の改善に名を藉りた労務管理の強化と組合活動の抑圧であるとの認識をもつに至り、これに抗議するとともにあくまで団体交渉により円満に解決すべく、一方的な実施についてはこれを阻止する方針を決定した。そして、副所長会議での決定の報告をうけ、小倉西清掃事務所の姿勢からみて一〇月二六日から名札点検が実施されることが懸念されたため、市労は、同日朝特に下原広志書記長、三村清正青年部長の二名を同事務所に派遣し、市労組合員に対し一〇月八日の統一ストライキ以後の中央の情勢報告と並んで前記執行委員会の決定を伝達させ、事務所側の出方いかんによっては強い抗議行動をとらせるべく具体的戦術を右書記長に一任した。

以上の事実が認められ、前掲各書証の記載内容のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  抗議行動

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 一〇月二六日、小倉西清掃事務所においては、前記市労の決定に基づき同日午前八時ころから一五分間の予定で、手待時間を利用し、詰所一階で下原書記長、三村青年部長らの指導の下に、清掃作業員ら約一〇〇名(原告島内及び同竹下を除くその余の原告らを含む。)が職場集会を開催し、下原書記長が長椅子の上に立って、一〇月八日のストライキに関する全国的情勢と当日から実施されるおそれのあった服務規律問題に対する市労の基本的立場につき報告を行っていた。

同清掃事務所は、同日から名札点検を実施すべく、午前七時五五分ころ職場委員長の原告今浪新太郎を同事務所に呼び、前記副所長会議で決定された事項につき詰所に説明に行く旨伝達した。その後、中畑副所長は、午前八時一〇分ころ松井三郎、下原万亀雄両係長及び指導員を伴い詰所一階に赴いたところ、同所では前記職場集会が開かれていた(中畑副所長が詰所に赴いた際職場集会が開催されていたことは当事者間に争いがない。)ため、下原書記長に対し時計を示し、勤務時間中であるので集会を中止するよう命じたところ、同人は、了解したとの態度を示しながらもなお集会を続行した。

(二) 午前八時二〇分ころ右集会終了と同時に、中畑副所長は、再び詰所一階に入り、清掃作業員らに対し名札点検の実施に関連して概略次のような説明をした。すなわち、副所長会議の決定方針に従い同事務所では同日から名札点検を実施する、その方法として、各自出勤時は午前八時五分ころ、退庁時は午後三時四五分ころ指導員立会のうえで名札を掛替えることによって、出退勤、早退、遅刻等を確認する、右の不遵守については賃金カット等相応の措置をとる、という内容のものであった。

右説明に対し、多くの清掃作業員らは事務所の一方的な実施であると憤慨した。つまり、条例上半日休暇が清掃作業員についても認められていたが、数人一組となって作業をする関係で、半日休暇はとらないでほしいという事務所側の協力要請と組合側の自主的抑制によって、できる限り半日休暇をとらない傾向にあった。そのため従来便宜的方法として、収集作業を終え事務所に帰って来た場合、退庁時刻を待たないで指導員等に連絡のうえ帰宅する取扱いがなされていたが、その場合必らずしも賃金カットの対象とされてはいなかった。ところが、若し名札点検が厳格に実施されることになると、今後は必要やむをえない理由によって届出て帰宅しても賃金カットされる可能性が強く、ひいては勤勉手当等にも影響することとなり、その便宜的方法の廃止との関連において、場合によっては半日休暇をとらざるをえないこととなるし、更に場合によっては、半日休暇ですむときにも丸一日の休暇をとらざるをえないことも予測された。

市労では、このような認識の下に名札点検の一方的実施に強く反対していたが、同日の中畑副所長の説明に対しても、当初は全員平静に聴いていたが、その終りころには、質問や抗議で室内は騒然となった。その際、三村清正、牧野茂夫は、「一方的に点検を決めやがって。」「組合との話合いもせんで一方的に点検をするか。」「やりきるならやってみい。」などの発言をし、右三村は、中畑副所長に対し、「天災地変のときも(便宜的方法は)認めないのか。」との質問をしたが、同副所長は、既に清掃車が事務所に到着し始め、また室内も騒然となったので、これには応答せず、全員に対し就労を命じ、約一〇分間の説明を終えて事務所に帰った。

(三) 下原書記長は、市労の決定に基づき、名札点検とこれに関連する問題につき事務所側と団体交渉をすべく早川進支部長にその旨伝えるとともに、同人に対し清掃作業員らをその間就労させず詰所で待機させるよう指示したので、早川支部長は、支部執行委員にその旨指示して清掃作業員約一〇〇名を待機させた。

同日午前九時一〇分ころ、下原書記長以下組合役員らを中心に二、三〇名の者(原告三村義治、同村下福松、同下川勝若及び同宮崎義夫を含む。)が事務所に入り(後に一時五、六〇名に増えた。)。下原書記長は、所長及び副所長に対し名札点検の実施方に強く抗議し、一方的に実施するなら条例で認めているとおり今後半日休暇をとる趣旨の発言をした。その際、三村清正は、「おれは明日昼から出て来るぞ、半日休暇をとってもよかろうが。」とか、牧野は、「一方的にやりきるならやってみい。」という趣旨の発言をして激しく抗議した。

しかし、所長及び副所長は、あくまで副所長会議の方針として決定したものであるから、その実施を撤回できない旨回答し、話合いは対立したまま約三〇分間にわたって抗議行動が続いた。

そこで、下原書記長は、午前九時四〇分ころ、組合の代表者と同事務所との間で引き続き団体交渉を行うことを提案し、事務所側もこれを認め、ようやく清掃作業員らは収集作業を開始した(なお、原告島内及び同竹下を除くその余の原告らが同日午前九時四〇分ころまで不就労であったことは当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

3  右抗議行動の影響

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

一〇月二六日小倉西清掃事務所の清掃作業員約一〇〇名が、勤務時間内職場集会参加及び名札点検実施をめぐる抗議行動により、約一時間三〇分にわたってその職務を放棄したため、同日の同清掃事務所の業務が阻害され、ごみ約一六・五トン(収集予定量の約一九パーセント)、し尿約二七・七キロリットル(収集予定量の約三二・四パーセント)の未処理滞貨を生じるに至った。

すなわち、平常勤務の場合であれば、ごみについては延稼働台数六二台分を搬送すればほぼ計画収集量に見合うところ、同日は右職場集会等のため延稼働台数四八台分しか処理できず、延一四台分の滞貨を生じた。そこで、同事務所は、民間借上車の小型ダンプ車三台(延稼働台数九台)を投入し、また、勤務時間外に及ぶ管理職による直営車の中型機械車五台の稼働により、右滞貨を処理した。し尿については、一日延三六台分の搬送予定であったところ、延稼働台数一二台分の滞貨を生じたまま後日の収集に持ち越したため、二〇日周期の計画収集が延長し、市民からの苦情が出たので、一一月になって民間業者に請負わせて苦情の多い地区から未処理滞貨を処理した。

以上の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

第三  次に、本件処分の根拠とされた法規の適用につき問題とされる原告らの法律上の主張を一括して検討する。

一  原告らは、いずれも単純な労務に雇用される一般職地方公務員であって、その労働関係その他身分取扱いについては地公労法の規定(一七条を除く。)が準用される(同法附則四項)ところ、地公労法一一条一項は右公務員等の争議行為を一律全面的に禁止したもので、憲法二八条に違反し無効である旨主張する。

公務員の争議行為禁止規定の合憲性に関しては、最高裁判所昭和四八年四月二五日大法廷判決(昭和四三年(あ)第二七八〇号、刑集二七巻四号五四七頁)が非現業国家公務員についての争議行為を禁止した国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの)九八条五項を、同昭和五一年五月二五日大法廷判決(昭和四四年(あ)第一二七五号、刑集三〇巻五号一一七八頁)が非現業地方公務員についての争議行為を禁止した地公法三七条一項を、同昭和五二年五月四日大法廷判決(昭和四四年(あ)第二五七一号、刑集三一巻三号一八二頁)がいわゆる三公社五現業の職員についての争議行為を禁止した公共企業体等労働関係法一七条一項をそれぞれ合憲である旨判示しているところであるが、その趣旨に照らせば、地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員及び単純な労務に雇用される一般職に属する地方公務員につき争議行為を一律全面的に禁止した地公労法一一条一項が合憲であることは明らかであって、当裁判所もこれと同様に解するものである。

すなわち、地方公営企業に勤務する一般職に属する地方公務員及び単純な労務に雇用される一般職に属する地方公務員(以下両者合わせて単に「職員」という。)も憲法二八条の勤労者にあたるというべきであるが、職員も地方公務員であるから、身分取扱い及び職務の性質・内容等において非現業の地方公務員と多少異なるところはあっても、実質的には地方の住民全体に対して労務提供の義務を負い、公共の利益のために勤務するものである点において両者間に基本的相異はなく、職員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性及び職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃は勤労者を含めた住民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、又はそのおそれがあることは、他の非現業の地方公務員、国家公務員ないしいわゆる三公社五現業の職員の場合と選ぶところはない。

そして、職員は、非現業の地方公務員と同様に、議会制民主主義に基づく財政民主主義の原則により、給与その他の勤務条件が法律ないし地方議会の定める条例、予算の形で決定さるべき特殊な地位にあり、職員に団体交渉権、労働協約締結権を保障する地公労法も条例、予算その他地方議会による制約を認めている(地公企法三八条四項、地公労法八条ないし一〇条等)。また、職員の職務内容は、利潤追求を本来の目的としておらず、その争議行為に対しては、私企業におけると異なり使用者側からのこれに対抗する手段を欠き(地公労法一一条二項)経営悪化といった面からの制約がないのみならず、いわゆる市場の抑制力も働らく余地がないため、職員の争議行為は、適正に勤務条件を決定する機能を果すことができず、かえって議会において民主的に行われるべき勤務条件決定に対し不当な圧力となり、その手続過程をゆがめるおそれもある。従って、職員の争議行為が、これら職員の地位の特殊性と勤労者を含めた住民ないし国民全体の共同利益の保障という見地から、法律により、私企業におけると異なる制約に服すべきものとすることもやむをえないものといわなければならない。

そしてまた、職員についても、憲法によってその労働基本権が保障されている以上、この保障と住民ないし国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とすることは、憲法の趣意であると解されるから、その労働基本権の一部である争議権を禁止するにあたっては、これに代わる相応の代償措置が講じられなければならないところ、現行法制をみるに、職員は、地方公務員として法律上その身分の保障をうけ、給与については生計費、同一又は類似の職種の国及び地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して条例で定めなければならない(地公企法三八条三項、四項)とされている。そして、特に地公労法は、当局と職員との間の紛争につき、労働委員会によるあっ旋、調停、仲裁の制度を設け、その一六条一項本文において、「仲裁裁定に対しては、当事者は、双方とも最終的決定としてこれに服従しなければならず、また、地方公共団体の長は、当該仲裁裁定が実施されるように、できる限り努力しなければならない。」と定め、更に同項但書は、当局の予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容とする仲裁裁定については、一〇条を準用して、これを地方公共団体の議会に付議して、議会の最終的決定に委ねることにしている。これらは、職員ないし組合に労働協約締結権を含む団体交渉権を認めながら、争議権を否定する場合の代償措置として、適正に整備されたものということができ、職員の生存権擁護のための配慮に欠けるところはないというべきである。

以上の次第であって、地公労法一一条一項による争議行為の一律全面的な禁止は憲法二八条に違反するものではないと解する。

従って、原告らの前記主張、更に地公労法一一条一項を限定的に解釈すべきことを前提とした合憲論の主張は採用することができない。

二  原告らは、一〇月八日の争議行為は労働組合の正当な行為である旨を主張する。おそらく原告らの右主張は、地公労法一一条一項が合憲とされる場合であっても、地公労法四条が労働組合法七条一号本文の適用を除外していないことを根拠として、地公労法一一条一項違反の争議行為のうちにもなお労働組合法七条一号本文の「正当な行為」にあたるものと然らざるものがあるとし、右「正当な行為」にあたる争議行為については、地公法二九条一項による懲戒処分をすることができないとする解釈を前提とするものと考えられるが、このような解釈はこれを採用することができない。けだし、地公労法四条によれば、職員に関する労働関係については、地公労法の定めるところにより、同法に定めのないものについてのみ労働組合法の定めるところによるべきものであるとされているところ、職員の争議行為については、地公労法一一条一項において一切の争議行為を禁止する旨定めているので、その争議行為につき更に労働組合法七条一号本文を適用すべき余地はないからである。地公労法四条が、労働組合法の右規定の適用を除外していないのは、争議行為以外の職員の組合活動については地公労法に定めがないので、これに労働組合法の同規定を適用して、その正当なものに対する不利益な取扱いを禁止するためであって、地公労法違反の争議行為についてまで「正当な行為」なるものを認める意味をもつものではない。

三  原告らは、争議行為に対して、その対象及び目的を異にする地公法三〇条以下の義務規定を適用すること及び同法二九条一項による懲戒処分をすることは違法である旨主張する。しかし、争議行為が集団的行為であるからといって、その集団性のゆえに争議行為参加者個人の行為としての面が失われるものではないから、参加者個人の責を免れえないのであって、地公労法一一条一項違反者に対して、地公法三〇条以下の服務義務規定を適用すること及びこれに対し同法二九条一項による懲戒処分を行なうことも許されるものと解する。

四  以上のとおり、原告らの法律上の主張はいずれも理由がない。

第四  そこで、原告らの各行為及びその該当法条につき判断する。

一  原告竹下進について

原告竹下が一〇月八日八幡西清掃事務所における前記第二、一、4の勤務時間内の職場集会に市労八幡支部副支部長として参加したことは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実に《証拠省略》を総合すれば、原告竹下は、一〇月八日市労本部の決定に基づく八幡支部の役員配置に従い、八幡支部副支部長として市労組合員に対し当日の集会の意義等を説明するために、午前七時二〇分ころ同事務所に赴き、中野庶務係長に当日集会の予定されていた宿直室を開けてもらい、同室で休憩した後、作業員控室及び運転手控室に行って市労組合員に対し集会への参加を呼びかけ、集会において集会参加者約一〇名に対し当日のストの意義等につき演説して、午前八時五分ころから同八時二五分まで勤務時間内の職場集会を主宰したこと、なお、同事務所所長諸永光雄は、同日午前七時五〇分ころ勤務時間内の職場集会が予測されたので、中野係長とともに宿直室で休憩中の原告竹下を訪ね、勤務時間内職場集会を止めるよう警告し、また、始業時の午前八時に全職員に対し作業に就くよう放送マイクを使って約五回にわたり放送し、更に、午前八時二〇分ころ集会が行われている宿直室に赴き、演説中の原告竹下に対し集会を止めるよう警告したこと、もっとも、右マイク放送については、宿直室が構造上聞こえにくい位置にあるため、原告竹下はこれを聞いていなかったこと、以上の事実が認められ、前掲甲第一号証の記載内容のうち右認定に反する部分はにわかに措信することができず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

原告竹下の右行為は、地公労法一一条一項前、後段に違反するとともに法令等遵守義務を定めた地公法三二条、信用失墜行為避止義務を定めた同法三三条に違反し、同法二九条一項一号の懲戒事由に該当する。

二  原告島内一雄について

原告島内が一〇月八日門司清掃事務所大里作業所における前記第二、一、3の勤務時間内職場集会に市労門司支部長及び市労本部副委員長として参加し、職場オルグをしたことは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、原告島内は、市労執行委員会の決定に従い同日同作業所に赴き、右職場集会において集会参加者約五〇名に対し集会の趣旨、行動の必要性につき演説して、午前八時五分ころから同八時三〇分まで勤務時間内の職場集会を主宰したこと、なお、同事務所副所長岩佐常雄は、集会開始直後演説中の原告島内の許に行き、勤務時間内であるから集会を止めるよう制止したが、それにもかかわらず集会が続行されたことが認められ(る。)《証拠判断省略》

原告島内の右行為は、地公労法一一条一項前、後段に違反するとともに地公法三二条、三三条に違反し、同法二九条一項一号の懲戒事由に該当する。

三  その余の原告らについて

1  その余の原告らが、いずれも一〇月八日小倉西清掃事務所詰所二階における前記第二、一、2、(一)、の勤務時間内職場集会に参加したことは当事者間に争いがなく、更に、原告今浪新太郎及び同宮崎義夫が同日午前九時ころから同事務所において、小倉東清掃事務所から作業車を借上げてきたことに対する抗議に加わったことは前記第二、一、2、(三)で認定したとおりである。

原告今浪及び同宮崎の右勤務時間内職場集会及びその後の抗議に参加した行為、その余の原告らの右勤務時間内職場集会に参加した行為は、いずれも地公労法一一条一項前段に違反するとともに地公法三二条、三三条及び職務専念義務を定めた同法三五条に違反し、同法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

2  原告竹下及び同島内を除くその余の原告らが、いずれも一〇月二六日午前八時ころから同八時二〇分ころまで小倉西清掃事務所における勤務時間内職場集会に参加したことは前記第二、二、2、(一)で認定のとおりであり、更に、同原告らが同日午前八時三〇分ころから名札点検等に反対する市労役員の呼びかけに応じ職場を放棄して就労せず、その後、原告三村義治、同村下福松、同下川勝若及び同宮崎義夫が午前九時一〇分ころから同九時四〇分ころまで組合役員らとともに同事務所に押しかけ、所長及び副所長に対し名札点検の実施に反対して抗議を行い、その余の原告らがその間就労しなかったことは前記第二、二、2、(三)で認定したところから明らかである。

原告三村(義治)、同村下、同下川及び同宮崎の右勤務時間内職場集会に参加し、午前八時三〇分から職務を放棄して就労せず、その後抗議行動を行った行為、その余の原告らの右勤務時間内職場集会に参加し、その後午前八時三〇分から同九時四〇分まで職務を放棄して就労しなかったことは、いずれも地公労法一一条一項前段に違反するとともに地公法三二条、三三条及び三五条に違反し、同法二九条一項一号、二号の懲戒事由に該当する。

第五  原告らの懲戒権濫用の主張につき判断する。

一  地方公務員につき、地公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行なうかどうか、これを行なうときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されており、その裁量が恣意にわたることをえないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。従って、裁判所において右の処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると解すべきである(最高裁判所昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。

そこで、本件につきこれをみれば、一〇月八日の各清掃事務所における勤務時間内職場集会は、その業務の停廃が直ちに住民の生活に影響する公共性の強い職場におけるもので、当局による警告、中止命令を無視して開催されたものであって、八幡西清掃事務所、門司清掃事務所大里作業所においては、比較的短時間でしかも平穏のうちになされたものとはいえ、原告竹下及び同島内は組合役員としてこれを主宰したものであり、小倉西清掃事務所においては、原告ら各人の行為は単純な参加であるとしても、同事務所の殆んどの従業員が参加したもので、これによる業務の阻害は無視できない。更に、その後の同事務所における原告今浪新太郎、同宮崎義夫らの、作業車の借上げに対する抗議行動は、本来その作業車の借上げが、北九州市清掃事業局に属する財産の操作に関するもので当局の管理運営事項にあたると解すべきである(なお、右作業車の借上げが作業員らの労働条件に不利益を及ぼすことを認めるに足る証拠はない。)にもかかわらずなされたものであって、その抗議の態様(粗暴さ)をも考えると、東西両清掃事務所の作業員間の対立を考慮にいれても、これに参加した右原告両名の情状は軽くない。

一〇月二六日の小倉西清掃事務所における一連の勤務時間内職場集会、職務放棄、抗議行動は、主として当局の名札点検の実施に反対してこれを阻止すべくなされた争議行為であるところ、その名札点検自体はすでに定められていた勤務時間を遵守させる手段として実施されようとしたものであって、本来当局の管理運営事項に含まれるものと解される。もっとも、その実施は、従来の従業員の出退勤等のあり方を変更することになるが、従来は事実上出退勤時間が遵守されなかったにすぎないものであって、その便宜的な取扱いが慣行となっていたとも認められない。従って、右一連の争議行為は、その名札点検実施阻止の目的自体不当なものであるのみならず、比較的長時間に及びその業務に与えた影響も無視できない。そして、特に同事務所における原告三村らによる抗議行動は、暴言等を伴う穏当さを欠いたものであった。

原告らの行為の性質、態様等は以上のとおりであり、他方これに対する本件処分は、組合役員として一〇月八日の集会を主宰した原告竹下に対しては減給給料日額の二分の一の処分であり、その余の原告らに対しては懲戒処分中最も軽い戒告の処分であって、これらの諸事情を総合して勘案すれば、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えこれを濫用したものということはできない。

二  なお、原告らは、本件処分が組合の組織破壊を狙った不当な意図を有する大量苛酷な処分であって、動機において懲戒権の濫用である旨主張する。なるほど、《証拠省略》によれば、一〇月八日の統一ストライキに対する懲戒処分が、単純に比較すれば、北九州市においては他の自治体に比べ、多数にわたり、しかも重い処分のなされていることが認められるけれども、このことから直ちに原告ら主張のとおり本件処分が組合の組織破壊を狙った不当な意図を有するものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。のみならず、他の自治体におけるストの具体的状況等が本件全証拠によるも明らかでないから、他の自治体における処分状況と比較して本件処分の実質的な軽重を明らかにすることができない。従って、原告らの右主張は失当である。

第六  結論

以上のとおりであって、被告が原告らに対してなした本件処分はいずれも適法なものである。よって、原告らの本件各請求は理由がないからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻忠雄 裁判官 湯地紘一郎 林田宗一)

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